あつまろです。

トルコ旅行を経て得たものを
お伝えする「トルコのすごさ」シリーズ、
前回は「トルコの地理的条件」について
お伝えしました。

今回は第二弾「親日派トルコ」です。

「トルコって親日というけど、ほんと?」
と思ってる方も多くいらっしゃると思います。

結論を先に言うと「本当」です。

あつまろが事前知識として知っていた
エピソードは一つありましたが、
他にもいろいろありました。

知っていたのは、
ロシアとの関係性です。

ロシアは不凍港を持っていませんでした。
昔は船の時代でしたので、
ロシアは不凍港を目指す南下政策が
伝統としてありました。

そうすると、黒海や地中海に面するトルコと
利害関係があります。

トルコはロシアに侵略をうけていたのです、
その時に1904年に日露戦争が起きて、
アジアの1小国である日本がロシアに勝ったのです。

この時代は同じく勢力的に弱かったトルコ(オスマン朝)は
彼らもロシアと戦争しており、この勝利に沸き、
ついに勝ったそうです。

これがあつまろが知っているエピソードです。

ただ、現地トルコ人ガイドさんの話を聞くと、
他にもエピソードがありました、他に2つ紹介しますが、
それはとってもいい話でした。

まず1つ目「エルトゥール号遭難事件」です。

これは1890年にトルコ軍艦が和歌山の串本付近で
台風による座礁がおきました。
そこでトルコ人乗船員が串本に行きました。

外国人も見たことがないようなところで
貧しい暮らしをしていた串本の人達は
トルコ人乗船員のケガの手当をして、
貧しいながらも食事を与えて半年間過ごしたらしいです。

これをトルコ人乗船員がトルコに戻って
ことの顛末を王様に伝えたところ、
大感激したというエピソードです。

トルコ人の多くはこのエピソードを知っていますが、
日本人はあまり知られてないそうです。
ちなみにW杯のときには串本の人を中心に
トルコを熱心に応援しており、ガイドさんは
そのことを喜んでいました。
※ちなみに日本が負けてくれたおかげでW杯3位が
とれてうれしいとも言っていました。。。

もう1つは、「イランイラク戦争」で
日本が受けた恩です。

トルコ人は日本人との思想の近さから、
うけた恩は返すという考え方があります。
身近な例でいうと近所の人から何かものをもらうと
お返しをする習慣が日本にありますが、
トルコも同じです。

イランイラク戦争が起きたときには、
現地在住の外国人は各国の飛行機が救出しました。
しかし、日本は日本航空が安全性などの問題で
救出に来ませんでした。

欧米各国に依頼しましたが、
各国とも自国優先、もしくは欧米他国を優先して
日本は救出されませんでした。

そのとき、トルコ政府が動きました。
トルコ航空を用いて日本人を最優先で救出して
日本まで送ってくれたそうです。

なお、この飛行機で乗れなかったトルコ人も
いるそうですが、陸路で帰還したそうです。

なお、後日談で小泉元総理は
トルコに行った際に、この事件について
地に手をつけて感謝を表したそうです。

以上です、すごく、よい話で
聞いたときは感動してしまいました。

あつまろ自身も、
トルコに行って親日ぶりを実感しました。

その例を二つ。

トルコのホテルで、公衆浴場(ハマスといわれます)があり、
そこにいると現地トルコ人に
「どこから来たの?」「日本です」
「ようこそトルコへ、楽しんでね」
というやりとりがありました。
言葉だけでは、伝わりにくいですが、
日本人だとこんなことなかなか言わないですよね。
(特に都会では)

他に、フェリーに乗っていると、
「チャイ(紅茶)」を飲んでるトルコ人を見て、
「飲みたいから、買いに行こうか」と
あつまろの奥さんに話をしたときに、
チャイを飲んでいた人と目が合い、会釈しました。

すると、その人が「買ってきてやるよ」
と言って、チャイを買ってきてくれました。

お金を払おうとすると、
「いらない」といい、片言の英語で話をはじめ、
日本人と知ると、広島や長崎は気の毒だったなどの
話をしました。

他にお菓子も買ってくれたりして、
あつまろの奥さんなんか、「騙されてるかも」と
警戒していましたが、そのままお別れしました。

このようにトルコ人の、日本人への好感度を
肌で感じました。

しかし、トルコ関係の本を読んで知りましたが、
トルコ人は訪問者を歓迎する思想があり、
全体的に旅行者にやさしい人たちという印象をうけました。

あつまろにとってこの旅行は、
トルコ人がとっても好ましく感じることができました。

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